350年の歴史を持つ 彦根仏壇
今では伝統的工芸品として彦根の地場産業を支えている彦根仏壇。その発展には長い歴史がありました。
彦根仏壇が生まれた地
井伊家三十五万石の城下町、彦根。
日本一の湖である琵琶湖の側にて、
古くから政治、経済、文化が交錯しながら、
発展を遂げてきました。
武具製作からお仏壇へ
武士中心の町であった城下町には、
刀の鞘や鎧などの武器や武具の塗工・
金工などを手掛ける
武具職人が集められていました。
その後、時代が泰平の世へと移り変わり、
職人たちの技術を生かした
仏壇製造業が起こったと言われています。
七曲がりで育まれた技
昔も今も仏壇の町として多くの仏壇店が立ち並ぶ
通称「七曲がり」にて、有力な問屋を中心とした
問屋制家内工業の形態のもと発展していきました。
彦根藩主の庇護などの後押しもあり、
明治維新の前にはすでに彦根の
有力な地場産業となっていたと言われています。
彦根仏壇同業組合の形成
彦根仏壇は明治に入り、販路を拡大。
全国へ普及していきました。
その後、問屋が結集し「彦根仏壇同業組合」を結成。
品質向上に努め、仏壇の生産高は
明治末期から飛躍的に上昇していきました。
地場産業から全国へ
恐慌や戦争などの荒波、
住宅事情の変化などの紆余曲折を経ながらも、
昔ながらの問屋制家内工業の利点を守り
存続させてきました。
江戸時代からの伝統的な技で製造を続け、
昭和五十年に通産大臣(現経済産業大臣)指定
「伝統的工芸品産地指定」を受けることになりました。